9月 浅草サンバカーニバル
浅草といえば「江戸下町情緒」というイメージがありますが、実は大の新しいもの好きなのが浅草っ子の気質。
明治時代には日本最初の映画館や、日本で初めてエレベーターを取り付けた12階建ての赤レンガビル「凌雲閣」、水族館、サーカスなど、浅草には他の町にはない新しい文化がどんどんと取り入れられてきました。また大正時代になると「大正オペラ」や「安来節」で賑わい、幅広いジャンルの音楽劇を生み出してきました。
歌って、踊って、楽しむサンバカーニバルと浅草の結びつきはすでにこの頃からあったのです。そうした背景のなか、昭和30年代後半から40年代にかけて、当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案。
これをきっかけに、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生したのです。